死に至るまでの本人の希望を叶えることができたなら、その本人を支える家族と介護者の心も満たされるのではないか。そんなことを考えています。
私の事業のすべてのきっかけは父の死ですが、父が病院や施設で過ごした日々は私にとって満足のいかないものだったのかと言えば、決してそうではありません。月25万円の入院費や入居費を支払い、物質的、経済的には恵まれた環境で父は過ごしました。
ただ、父の死後、僕には後悔があり、父の病室の光景を見て抱いた違和感は残り続けました。むしろ時間が経つほど、鮮明に過去の光景が蘇るのです。その理由を紐とくことができれば、商品、サービスの販売を通じて、その先に僕が実現したい世界が見えてくるのではないか。
この実現したい世界とは、既視感ある5〜10年後でなく(2025年問題なんてもはや未来ではない) 、僕ら自身が高齢者になる2050年の世界。現在の医療や介護の環境に単に何かの価値を乗せるのではなく、30年後の社会環境とエンドユーザーの価値観の変化を見据えて革新的な事業を生みださなければやる意味がない。
さて、僕の”後悔”の理由を考えていると、対極にある ”希望”という言葉が頭に浮かびました。僕は、父の生活上の安全と生命を維持するために充分な環境を提供しましたし、経済的に家庭を満たすことはできましたが、果たして、彼の”希望”を叶えることはできていたのだろうか。
そんな時、学生時代にお世話になった玄田先生の著書「希望の作り方」をふと読み返したところ、”希望: Hope”に対する定義を見つけました。それは、”Hope is a Wish for Something to Come true by Action”. つまり「何かを望む気持ちがあり、それが活動によって実現されること」が希望である。
この”何かを望む気持ち”を父から聞かぬまま、父を認知症病棟へ入院させたことが私の後悔の原因のひとつかもしれない。みんなの入院着のブログでも触れましたが、僕と父との関係性は特殊なもので、普通の会話はあれど、親子としての対話は無かったに等しい。さらに認知症になってしまうと彼の望みを聞くことはできなかった(••と思っていた)
ただ、父の”何かを望む気持ち” を知るためのシグナルは存在していたのではないか。
例えば、こんなことがありました。
痩せ細った父が「お腹が空いた」と険しい顔で訴えかけていたとき、私の母はこっそり蒸しパンを面会ルームへ持ち込み食べさせました。その時、看護師は「誤嚥性肺炎になる可能性があるのでやめてほしい」と母へ再三注意し、僕もそれは正しいと思い、母に止めるよう言いました。
しかし結果はその逆でした。その後父は、食べ物を飲み込めなくなり、流動食、点滴、胃ろう手術と移り、老衰は一気に進み、3ヶ月ほどで亡くなりました。あっという間でした。父の「なにかを食べたい」という望みに応えなかったことは、医療的には正しくとも父の希望を叶えたと言えたのだろうか。
これはあくまでひとつの事象であり、本来は、彼がどういった衣食住の環境で最期を迎えたいのか、という”希望”を、認知症になる前に聞くことができていたなら、私の後悔は無かった、もしくは減らすことはできたと思うのです。
父の視点に立てば、彼は入院の日々の中で希望を減耗させていったのではないか。だとすると、それは人として豊かな最期の迎え方だったのだろうか。
衣食住について「着たいものが着れない」「食べたいものが食べれない」「外に出たくても出れない」そんな「○○したいけどできない」という現実の積み重ねが、当たり前に生きることに対する諦めを生み、希望を減退させていたのではないか。
勿論、親子の関係性、認知症、死への暗いイメージがあるので、入院前に、本人から終末の過ごし方に関する希望を聞くことは容易ではありません。ただ、あと30年後、医療、介護のサービスがいくら高度化しても、そこに本人の希望が不在であれば、家族と介護者の後悔や悩みは残り続けるのではないでしょうか。
と、少しづつ自分の心を整理しています。