ウィズコロナで介護やリハビリの何が変わるだろうかと考えたときに、逆説的ではあるのですが、むしろ、今まで生活の支援を受けていた人の「自律性」が求められるようになるのではと思ったりしています。オンラインとかモビリティとかAIとか、人に何かを提供する、支援してあげる話とは逆張りな観点ですんません笑
コロナにより人との接触を減らす、外出も、ソトの人をウチへ入れることも、自粛されたり回数が減る、そうなると、ソトの人から得ていた生活支援が減るわけです。では、その減った支援すべてが、オンラインサービスやロボティクスに代替されるかといえばなかなかそうはならない。(少なくとも私が生きている間は)
つまり、介護やリハビリ(育児もそうでしょうね) って、やっぱり人が何とかしないといけないアナログな要素が大半。でも、ウィズコロナで、ソトの人はウチの人へ頻繁に支援ができなくなるわけです。そうなると、自分のことは自分で何とかしましょうという「自律性」がより求められる気がします。
また、そもそも私ががケア衣料に取り組もうと決めた理由は医療者目線で作られた服に違和感を感じたからでした。「◯◯させては危ない」と助ける側が過度にリスクを意識しすぎると、あんな質素な入院着が生まてしまう。
服に限らず、日々の対応の過度な対応が、本人の自律性を損ね、むしろ老化を進めると私は父を見て思ったです。
とはいえ、寝たきりの高齢者や赤ん坊には100%の支援は当然必要ですし、ソトの支援がなくなる分、家庭においては親による保育や、配偶者•子による介護の負担は増える、という別の課題はそれはそれとしてあるとして。(でもそれさえ、ウィズコロナで、ウチとソトの境目やソトとのつながりがより緩やかなものなるという解釈が解決の糸口となるかもしれない)
ただ、ウィズコロナで、相手のリスクや手間を過度に評価してきたが故に、やってあげ過ぎていたこと、相手にやらせなかったこと、専門家でないとできないと思い込んでいたことって、意外とこれから見直されていくのではと。その中でもテクノロジーで解決されない部分は、自分やウチ、あと身近な/地域のちょっとした支援でなんとかしよう、という「自律性」がむしろ求められてくる気がしています。